さて、社会人になりたての頃を振り返ります。
はじめての会社
前回の大学生時代でお話した、ホームメンテナンス業を主体とする会社に入社することになります。
さあ、掃除は嫌じゃないから仕事でも問題ないと思ってました。
最初は合宿研修で本社がある神戸に2泊3日ほどの行くことになりました。
研修内容を言うと、何だ、精神論なのかと社訓を大声で叫ぶ、そして、暗記するという怪しい研修が始まりました。
研修では、主に精神論というか、今振り返ると洗脳させることをするための研修だったのかもしれません。
頑張らないやつはどこ行っても通用しないみたいな感じです。
研修が終わり、配属先が社員に言い渡されます。
そして、配属されたところが、AS事業部。
なんだこのASって? 今思い出しても略のか思い出せません。。。
では、何の事業部かというと、なななんと!! 掃除をやるのではなく、モデムの取り付け委託事業。
私が入社した時代はちょうど、ADSLという通信規格が出始めた頃で、ヤフーBBというSoftbankが提供するモデムを無料で配っていた時代でした。
知らない人に説明すると、このモデムを使って、電話回線からパソコンへと繋ぐ中継機器と言えばよいのでしょうか。
要するに、ネットをする為の機器をヤフー業者に代わって、弊社が委託でお客様先にモデムの設定をする仕事でした。
おいおい、PCなんて全くの素人だった私はお客様先での設定で汗をかきまくり。。。
そりゃそうですよね。委託されているのでお客様から見たらプロだと思っているのですから。
もちろん、マニュアルを見ながら設定するんですが、これがイレギュラーケースが出るんですよね。
ちょっと待て。なぜ、弊社がこのモデムの委託業務をするかなんですが、このモデムの取り付けをきっかけに、弊社の排水管清掃や、ホームクリーニングなどの事業を営業するのが狙いです。
営業のアプローチとしては、無料点検の案内を作業後にして、まずはアポをとると言うのが役目でした。
この仕事は3ヶ月ほどやりましたかね。色んなお客様先に伺い、時にはパソコンの設定というより、お茶やお菓子を出されて話し相手になったりと色々面白いところはありましたね。
そして、私はこの仕事を通じてパソコンへの興味に繋がっていくことに。
2ヶ月半経つと、上司から、この事業はあまりうまくいっていないので、この事業を終了とすると伝えられました。
おいおい、2ヶ月半しか経ってないで終わりかよ。
そして、新たに任命された業務が排水管掃除の営業でした。
翌日には松戸の研修センターに行きロールプレイングをしました。
ロールプレイングとは実際に社員とお客様役を立てて営業の実践をすることです。
そして、内容を見て衝撃を受けることに。
液体の入ったスプレーを排水管に吹きかけて、それを皮切りに対応しておきましたが、排水管の掃除をした方が良いですね〜とアプローチします。
液体はひのきの香りがするスプレーなんですけど、実は排水管の臭いには何の効果がないものです。
そんなスプレーを吹きかけて、良くなったら排水管掃除なんか必要ないわけで。
う〜ん。なんか胡散臭いなこの仕事。
心の中でその感情が次第に強くなっていく自分がいました。
これってどうみても悪徳商法だよな、お客様が本当に必要なものを提供できることが会社としての使命なのに、なんか違うんじゃないかとこの時感じました。
1日の研修が終わった時点で、私の心の中は、こんなことして人を騙すために社会人になったんじゃないと。
そもそも、掃除してお客様に「ありがとう」と言われたいために入社したんだ。
翌日、私は事務所に行き、辞表を提出しました。
もちろん、どこの会社でも言われる捨て台詞が飛んできました。
「そんなんじゃどこに行っても通用しないぞ」
通用しないかなんてなぜわかる? 辞める相手の上等手段でしょと思い、心は変わらずそこで1社目の退職が決定しました。
この時感じたことは、会社というものは外面ではわからない。入って見ないとわからないんだなって。
その頃はまだ、ネットも普及していないので、会社の評判とかも知る由もなかったのです。
今はネットで会社の評判とか知ることもできるので、ブラック会社に入る確率も減っているとは思いますが、いずれにしても入社しなければわからない。
こればっかは、仕方ないことではありますが、私は辞めたことに全く後悔がなかった。
そんな社会人デビューでした。
もちろん、母親はすぐ辞めてのレッテルを貼ってきました。
日本ってなぜか、入社した会社は長く働いて、我慢して続けることという文化が根付いているから、母親世代はみんなそういう意見なんですよね。
今となっては、そんなのナンセンスですし、昔とだいぶ退職や転職への価値観が変わっていると思います。
仕事を辞めたということで、まあ、ニートということでしょう。
毎日のように家では肩身が狭く、母親は「いつまで仕事しないの?」の一点張り。
まあ、親の気持ちもわからなくないが、当事者にとっては仕事したくなくて家にいるわけじゃないんだよと、お互いの気持ちのすれ違いが続いてました。
1ヶ月経ったぐらいでしょうか。母親の再婚相手はマッサージの仕事を生業としていた人でした。母親もその仕事を手伝っており、私に大して母親は、マッサージの仕事をやってみたら? と言ってきたのです。
手に職にもなるし、食いっぱぐれることもないし、いいかなと思い始めました。
そして、私はマッサージの仕事を手伝うことにしたのです。
マッサージ業
もちろん、マッサージなんてしたことがないので、最初はひたすら練習でした。
人間にはツボという部分があって、ツボを刺激しながら体をほぐすのがマッサージです。
マッサージの手順を覚え、ひたすら同じことを繰り返してました。
そして、徐々にお客様を任されることに。
マッサージ以外には足つぼといって足の裏をマッサージすることもやってました。
これが、何回もやると指にタコができるんですよね。
もくもくと仕事をして、それなりにマッサージとしても仕事ができるようになりました。
ただ一つ気になっていたのが、毎日同じ場所で同じ人。
そして自営業なので社会との繋がりがなんというか希薄というか。
私の中で、社会を経験して生きていきたいという気持ちが強くなっていきました。
そして7ヶ月経った時に、ふと思い出したのが、好きなことを仕事にした働き方。
好きなことはなんだろうと思って、浮かんだのが最初の仕事で扱ったパソコンでした。
あーパソコンってなんか面白いな興味があるし、ゲーム好きの私には向いているかもと。
そして、数日後、母親にマッサージを辞めたいと言いました。
もちろん、親は続かないを前提にまた辞めるのという感じでしたが、決めたことは変わらないですよね。
まあ、私の気持ちは固かったので、辞めることになります。
辞める前なのか後なのかはあまり覚えていないのですが、IT転職フェアに当時パソコンの経験ゼロの私が見学に行きました。
そこで何社か会社説明を受ける中で、1社、当時、24歳未経験の私でも面接をして頂けることに。
そして、面談の結果、未経験でも内定を得たのでした。
そこが、最初のIT会社の始まりになるのです。
IT会社に足を踏み入れた私は、この後に人生で最大の挫折を迎えることになるとは、この時は知る由もなかった。。。
この続きは、社会人時代 パート②でお話します。