高校生活へと突入です。
高校生活
中学生の頃は全然勉強しなかったこともあり、1年生の頃から勉強に力を入れました。
頭があまり良くない学校でしたが、その中でもクラスで2番目の成績を残してました。
1番ではないんですけどね。。。
通っていた高校は2年生から1年生の成績によって成績優秀者のみが入れる特進クラスが設けられておりました。
私の成績はギリギリでしたが、なんとか担任の先生に懇願した結果、2年生から特進クラスに入ることができました。
もちろん、特進クラスは1年生の頃に成績の良かった人が選抜で選ばれるので、みんな頭が良い方でした。
ただし、もともと頭が悪い学校なので選抜といっても、実際は勉強が他の人よりもちょっとできるぐらいの感じでした。
私は勉強をガッツリしていたかと言えば、そんなこともなく、試験前にいっきにやるタイプでした。
ほぼ丸暗記型勉強でしたね。暗記は得意な方なので問題が出ても暗記しているので即答ばかりでした。
おかげさまで世界史はいつも90点台。100点も2回ぐらいとったことがあります。
中学生では頭が悪かった私でも100点が取れるんですよ。
特進クラスでは40人ぐらいで4番とかでしたね。
ここでも上位をキープはしてましたね。
数学が苦手だったこともあり、どうしてもその点数の差で4番以上が難しかったですね。
生活といえば中学の時と同じく家に帰ってゲーム三昧。
夜中2時までゲームはザラでしたね。
ただ、こう見えても真面目で学校には一日も休まなかったです。
皆勤賞が狙えたのですが、ある事件があって逃しました。
それは、休みだと思っていた日が実は学校ある日で間違えてしまったのです。
急いで向かったもののすでに放課後状態。
先生に懇願した結果、遅刻にはなるが出席扱いにしてくれました。
結果的には精勤賞という形になりました。
精勤賞は2回の遅刻までで全て出勤した人が対象です。
体は丈夫な方だったので高校では風邪を一度もひいてないんじゃないでしょうか。
それは大学生、社会人になってからもタフな状態は続いております。
そんな学生生活でした。
家庭環境
高校生では母親は中学生の時に家を出ていったのでおらず、お金の面はスーパーおばあちゃんの援助で成り立ってました。
中学生時代にお話しした通り、父親はお金を稼ぐことができない状態で、学費は祖母が払ってくれました。
この部分においては本当に助かりました。
この時から私はお金がないと世の中何もできないんだなと子供ながら思い始めました。
そして、2年生になった私に転機が訪れます。
父親は相変わらずの自分に甘く、人に厳しい感じでした。
そんな父親の言葉は、あんたに言われたくないという思いが強くなり、ついに爆発してしまいました。
その結果、私は家を出る決意をしたのです。
行き先は母親の家。母親は再婚しており、その家に引っ越すことになりました。
もちろん、可愛がってくれた祖母もそれには賛同せずに、気持ちのすれ違いのまま家を出ることになりました。
姉は家に残ることになりました。
その後は母親の家で過ごし、母親に学費を払ってもらうことになりました。
再婚者の方とは特に問題はなく、普通に接してましたね。
まあ、環境が変わってもやることはゲームばかりでライフスタイルはあまり変化は無かったです。
アルバイト
高校生になったので、アルバイトを始めました。
高校生のアルバイトはあまり選べない中、2つほどアルバイトをしました。
まず一つ目が松屋フーズでおなじみの牛丼チェーンです。
当時は吉野家みたいな知名度はなく、あまり店舗も少なかったですが、今は知名度もかなり上がりましたね。
時給は当時800円ぐらいでしたか。
今の相場からすると安すぎるとは思いますが、アルバイトする人はたくさんいた時代でした。
アルバイトって事前に社会人経験するようなもので、いろんな人と働いて、この松屋での経験は今となっては財産になってます。
松屋のアルバイトはなんと大学生の終わりまで続きました。(アルバイト最長記録)
もう一つのアルバイトはサカイ引っ越しセンターでした。
当時、高校生でも日給8000円もらえるということですぐに応募。
人が足りないのかすぐに採用されましたね。
肉体労働の極みなので、正直まじキツかったです。
引っ越し先は選べないので、公団の5階建とかにあたるとエレベーターがないので、ダッシュでダンボールを受け取り、階段をダッシュで上り下り。
高校生でしたので、体の回復も早かったのでなんとかやり切れましたが、30代、40代とかは正直キツイ仕事だなと高校生ながら思いました。
引っ越しのアルバイトで良かったことは、体力はつくのはもちろん、引っ越しが終えるとお客様から大入りを貰えるんですよ。
例えば3千円とかもらって、一人、千円もらったりするのが当たり前。一日2件まわったりすると2、3千円とかになるので日給は1万円とかになってました。
高校生で日給1万円はそうそうないので、稼げましたね。
ちなみに、なぜ高校生でそんなにアルバイトをしてお金を稼いでいたかというと、やはり家庭環境の影響か世の中お金という気持ちが強くなっていたと思います。
また、稼いだお金で最終的にパソコンを買うことになるのですが、当時27万ぐらいしたと思います。
要するに高校生で27万貯めて現金払いで買いました。
当時はWindows95の時代でした。
モニターも大きくて、ネット回線はまだダイヤルアップ回線の時代でしたね。
今の20代の人にはダイヤルアップ??になってしまいますよね。
時代の月日を感じますね。
そんな引っ越しのバイトで事件が起きます。
どこにでもある話なんですが、一人苦手な社員の方がいました。
よくある、こき使って冷酷なタイプです。
一緒に同行するメンバーは当日に知ることになるのですが、メンバーの内容によって楽しさが変わります。
そりゃ仲の良い優しい先輩と同行したいものですよね。
その日は、アイツとあたりました。。。
そして、案の定の扱いが始まりました。もう一人一緒に同行した先輩がいたのですが、その人もアイツのことが嫌いでした。
2人で1軒目に行ったところであいつにはついていけないと決意し、2人でバックれちゃったんですよ!!
その後、事務所に戻り、社員の方に話をしてその日で2人はアルバイトを辞めることに。
その帰りに憂さ晴らしでカラオケに行きましたね。
若気の至りとはまさにこのことでしょうか。今となっては良い思い出です。
でも、今振り返るとお客様にはお詫び申し上げます。。。
アルバイトを振り返ると、社会に足を踏み入れることができたので高校生ながら大人の成果を少しだけ垣間見ることができたと思っております。
そのアルバイトですが、大学生では更に加速をしていくのですが、それは大学生時代でお話します。
部活
高校生では引き続き、サッカー部に所属しました。
1年生まではやっていたのですが、学校の方針に合わず、1年で辞めてしまいました。
当時はうまい人がたくさんいたのですが、3年を通して残った人あまりいませんでした。
うまい人はなぜか辞めちゃうんですよね。
サッカーは大学生になるまでやらなくなってしまいます。
運動をあまりしてなかったのですが、若かったこともあり、太ることもなく、体も健康でしたね。
中学生の成長期に運動していたことが良かったのかもしれません。
高校生の時のサッカーはあまり良い思い出がないですね。
1年生だけなのもあり、3年間やっていないという部分で達成感というものもなく、印象もあまりないですね。
大学受験
高校生では成績もそこそこで、評定が5段階評価で4.4あったので推薦枠である大学を受けました。
先生からは特に問題ないと聞いていたので、たかをくくっていたのですが、またもや事件が。。。
落ちましたと。。。えー落ちるのかよー。真実はよくわかりませんが、他の人と比較した結果落ちたようです。
そこで希望が終わりました。学力で大学に行けるほどの頭がないと悟り、予備校になることを決意したので。
要するに浪人時代に突入することになります。
ある意味、普通に高校、大学というエリートコースは歩めなかったことがブログを通してネタになるなんて思いも寄りませんでした。
高校生活を通して感じることは、中学ではあんなに成績が悪い私でも高校生では上位の成績を収めることができた。
たとえ、バカな高校だったとしても成績優秀者とての事実は変わらなかったので、勉強って頭の良し悪しは無いとは言いませんが、結局、やったかやらなかったかだけだとこの経験を通して感じました。
これは今後の人生でも感じることですが、やるか、やらなかったの差だけなんです。
勉強に限らず、ある物事をやり続ければ、それなりの結果が出ると言うことです。
そして、私は浪人時代を迎えることになります。