さて、時代は思春期へと突入していきます。
学校生活
ごく一般的な公立の中学校に入学します。
そこでは、3歳年上の姉は卒業し、私が入学しました。
入学後に姉の凄さを垣間見ることになります。
ねえ、〇〇さんの弟さんだよね?
はい、そうです。よろしくね〜と2、3年の人から声かけられるんです。
後でわかったのですが、姉は結構リーダー的な存在でしたので、権威というか
そういう学校生活を送っていたのでしょう。一目置かれている感じだったようです。
ただ、スケバンではなかったですよ。笑
最初から見えない力が私を守っている感じでした。
しかしながら、それといじめは別でした。同年代は関係ないですからね。。。
中学でも勉強はいまいちでした。部活ではサッカー部に入部しました。
こちらは3年間全うします。
生活といえば勉強もせず、放課後は部活に励み、帰宅してからはゲーム三昧でした。
中学生はほんとゲーマーでしたね。
小学生の時にはファミコンが無かった話をしたと思いますが、スーパーファミコンを買ってからはまあ、毎日、夜1時ぐらいまでゲームしてたんじゃないですかね。
アーケードゲームにもはまっていて、ゲームセンターにも毎日と言っていいほど行ってましたね。
ゲームでは結構強い方だったと思います。
負けるとすごい悔しいので練習して強くなる感じです。
この頃から結構負けず嫌いな方だったのかもしれません。
でも、ゲームばかりでインドアに思うかもしれませんが、アウトドアもします。
実はサッカー部に入ります。運動はそこそこだったんですよ。
その現れとして、足が速かったので、運動会とか区の陸上大会とか出場してます。
じゃあどれだけ速かったというと、わかりやすいエピソードとしては、運動会で最後に組ごとの全体リレーがあったんですが、最終走者でした。
俗に言うアンカーです。
2年生の頃にはアンカーで組が優勝しました。
バトンを受け取った時には1番だったので私の力ではなかったですが。笑
今となっては全力で走ることはないとは思いますが、たぶん12秒台で走れるんじゃないでしょうか。
逃げ足も速いということにしておきましょう。笑
部活動
小学6年生から始めて、その流れで中学もサッカーを続けることにしました。
下手くそなままでしたね。
サッカーというかスポーツ全般に言えることですが、うまい人って気が強いというかヤンチャな人が多いですよね。
私は気が弱かったせいか、ボールが来てもただ蹴り返すという下手くそなプレーヤーでした。
気が強い人とかって、ずる賢いからそこでフェイントしたりできるじゃないですか。
そういう頭は全く無かったですね。後から後天的にそうなっていきますが。笑
うまい人は1年生から先輩の試合に出るのですが、もちろん下手くそなのでそれはなく1年が過ぎます。
2年生からは補欠かレギュラーかなんですが、足だけは速いのが功を奏したのかセンターバックのポジションをゲットしました。
だた、この頃もレギュラーでも下手くそなのでボールを蹴り返すしか出来なかったです。笑
センターバックだと守りの要なのでだいたい相手は一番うまい人を守ることになります。
簡単に抜かれたりしてましたね。でも、自慢の俊足で追いつくという形でなんとか守ってました。
運動神経は他の人よりあったと思います。
自分が通っていた中学校は区の大会で必ず3位以内に入る強いサッカー部でした。
顧問の先生が超怖くて、今だと考えられないのですが、動きが悪かったりすると、ちょっとこい!!と言われぶん殴られてましたね。(今だとパワハラで訴えられますね)
そして、3年になり、うちらの世代はちょっと弱かったんですよ。
夏の大会で3位以内になれなかったら、顧問の先生がサッカー部に就任して以来の汚名を私たち世代は作ろうとしてました。
それだけさせないと、最後の大会は必死に戦いましたね。
結果はなんと3位!! あぶねー、でも他の学校も強い中なんとか汚名返上を果たしました。
その時感じたのは、達成できるできないって紙一重なんだなって。
やる気があれば達成できることも心の持ちようで達成できないこともある。
気持ちの部分って大きいんだなと思いました。
選手自体は変わらないくても監督が変わるとガラッと変わるとかはあると思います。
それって、技術は変わらないので気持ちのコントロールなんだなって。
この経験から感じたのはスポーツに限らず資本主義の国に生まれた限りは戦いから逃げられないんだなと思いました。
これは社会人になった今強く思うことです。競争からは逃げられないのです。
3年間を全うできたので満足感はありましたね。下手くそは改善されなかったですが。笑
恋愛
まさに思春期。ここには触れないといけませんよね。
ただ、正直、弱気であったので、恋愛経験がなかったです。
こういう告白は恥ずかしくて言いたくないものですよね。でも私は失うものなんて何もないので言っちゃいます。笑
ただ、結構モテてたと思います。
サッカー部って、なんかモテるイメージありますよね。
そのまんまの回答です。笑
実際の私は硬派ではありません。凄く女の子にも興味ありました。
でも、硬派を気取ってましたね。今となってはなぜそんな勿体ないことをしたんだろと悔やみますが。笑
偽っていたということですね。ここで学んだことは偽りって良いことなんて何もないんだなって。
だから、後天的に偽らずに生きていこうと強く思ったのかもしれません。
もっと、貪欲に自分の思うままに生きていればと当時を振り返ると思います。
もちろん、中学時代では好きな子がいました。2年生で一緒になった子でしたね。
ただの片思いで思いを伝えられずに終わってしまいましたが。
よくある話もあって告白できなかったもありますね。好きな子の友達に告白されたので。
そうなるとなかなか言えないですよね。青春って感じですね。笑
まあ、本当に妄想やろうの中学生でした。笑
いじめ
小学校に比べたら凄いいじめは無かったです。
ただし、一部の人からはいつもやられてましたね。
まあ、程度としては筆箱をどっかに投げ飛ばされたりそんなレベルでしたがいじめはいじめ、なぜ抵抗しかなったんだろうと思いますが。
弱い自分を認めてしまっていたのでしょうか。反撃はしなかったですね。
後はサッカー部でも弱い立場だったので強いグループからボールを当てられたりしてましたね。
下手くそだと強い発言もできないんですよね。
いじめっていじめられている方が抵抗できたら、いじめなんて無くなりますよね。
それが出来ないからいじめなんです。いじめる方はもちろん、いじめられる気持ちなんてわかりません。
いじめられる側の気持ちが分かる人はそもそもいじめなんてしないですからね。
前にもお話ししましたが、今ならすぐに抵抗してやり返すんですが、今なぜこういうマインドになったのかも正直わからないんですよね。
大きなきっかけがあったかというと特にないんですよね。ただ、確実に言えることは性格は後天的に変えられるということ。
昔を知らない人からしたら、私がいじめられていたとは思わないようです。
まあ、今はズケズケと言いたいことも言うし、行動もしますからね。人は変われるってことです。
心理学
いきなり、心理学というタイトル。中学に入ると人に対して興味が出てきます。
書店に行っても心理学の本を買って読んだり、図書館でも心理学系の本を借りたりしてましたね。
いじめられていたこともあり、人の心理について学んでみたいと思ったのかなと思います。
その頃はフロイト、ユングとかですかね。今はアドラーとかだと思いますが、同時はアドラーは全く有名ではなかったですね。
今となっては、自分は自分というマインドを持てるのはアドラーの精神もあるのかもしれません。
心理学を学んだったのなら、そりゃ人間関係はうまいんでしょと思う人もいるかもしれません。
でも、学んでもそうはならないというかある結論に至りました。
人はそうそう変わりません。でも自分は人を変えるに比べれば容易いものです。
テクニック的なものは多少ありますが、最後は相手は相手、自分は自分とう結論です。
相手に変わってもらうように仕向けるより、自分がこういう人間だと自信を持って生きれば、それに共感して自然と自分と合う人が近づいてきます。
また、全員と仲良くなることはできないと思います。というかむしろその必要がないです。
みんなから嫌われたくないって、言い方を変えると自分勝手というかただのエゴでしかないです。
そんなことを考えるより、私はこういう生き方をしてますと胸を張って、偽らずに生きる方が人生は楽しいと思います。
言いたいこともいえず、本来の自分も出せずに生きていたら、そこは考え方を変えてみたら、未来は違った風景になると思います。
後、最後に相手に対して接する時に一番重要なのは気持ちです。
気持ちがあれば内容はあまり重要ではありません。
機械ではなく相手は人間ですから。
人間は言葉で動くわけでないです。必ず感情で動きます。
少なからず私は心理学を学んで感じたことです。
参考になれたら幸いです。
趣味
中学の頃からゲーム関係が好きなこともあったので、あらゆるゲームを経験しました。
その中でも将棋は結構ハマりましたね。現在の実力でいうとアマ3級ぐらいはあると思います。
当時は、将棋盤を学校に持ってきて堂々とやることはできなかったので、どうしたかというと紙に書いてやってました。
どうやってやるのかというと、将棋盤を油性ペンで書いて、駒は鉛筆で書きます。駒を動かす時は消しゴムで消して書くという形です。
これやってみるとめんどくさそうに聞こえますが、そこそこできるんですよ。
もちろん、つまらない授業中にノートを渡し合いやってました。笑
後はオセロとかもそこそこ強いです。オセロなんかに実力の差があるのかと思いますが、書店で本買って勉強すると素人にはまず負けないですね。
この辺がゲーマーなんでしょうね。
麻雀とかも覚えてましたが、さすがに難しい感じでしたね。
とにかくゲームは負けるのが嫌いなのでそこそこ強くなるという性格でしたね。
勉強にも活かせよって感じですね、笑
ゲーム以外ですと当時マウンテンバイクを持っていて、移動は全て自転車でしたね。
経験だけで話すと往復40キロ走った経験があります。
中学生の体力だったので、帰りはヘトヘトだったのを覚えております。
でも、やると決めたら即行動はこの頃から結構ありましね。
やるかやらないかの時はやる。これは今でも変わっていません。
家庭環境
中学時代に大きな出来事が訪れます。両親の離婚です。
中学2年生の時でしょうか。母親が離婚して出ていきました。
家事は姉と私でやりくりしながら生活をする形となりました。
私はは掃除は得意ですが、この頃の経験が大きかったと思います。
主に私は部屋の掃除と洗濯物係でしたね。姉は料理全般でした。
父親といえば相変わらずのダメっぷりで、家事ができないんですよ。
なので子供に支えられるというなんというか、反面教師的な存在でしたね。
この経験がのちに野心を生む人間を育てたのかもしれません。
一見辛い出来事かもしれませんが、今の自分がこの経験があったからこそ今の自分がいるのかもしれません。
人間って人と比較しますよね。なんでうちだけこんな環境なんだって嘆いたりもしました。
でも、これが今に見てろ絶対に見返してやるからなという精神を生んだのかもしれません。
父親は自分がダメなのに子供にはこうしろとか言うタイプでした。
でも、それってやっぱり説得力がないというか。自分は絶対にそんな親にはならないと強く思いましたね。
なのでその現れだと思いますが、タバコ、ギャンブルは一切しません。
理由は父親がやっていたから。子供の時に父親みたいにはならないと強い決意を持ちました。
父親は学歴は高く、誰でも知っている有名大学に行ってます。
でも、実際その学歴が活かされない人を目の当たりにしていたので、人間は学歴じゃないんだって今でも思ってます。
それもあり、あんま勉強しなかったです。ここは言い訳。笑
受験
部活とゲームばっかで勉強は全然やってませんでした。この頃は得意科目も無くて5段階評価で5をとったのが最後の通知表の家庭科ぐらいでしたね。
家庭科とか意外かもしれませんが、図工が入ってますからね。それ以外はほんと3か2ばかりでしたね。
そんな中3年生になって受験を迎えます。もちろん、ろくに勉強もしなかったので。
志望高校も受かる確率は低い状態でした。
滑り止めとして勉強しなくても受かる高校を受験しました。
結果、滑り止めの高校意外は全滅でした。本当にバカでしたね。
よく、勉強すればできたとか言う人がおりますが、結果を残せてないならバカなんです。
勉強を実行できる能力も頭の良さをいうのでしょうか。そういう考えがない人が結構います。
やればできるならやれということです。だから、この時の私はやらなかったのでただのバカです。
この経験からバカが勉強するとどうなるかを実践することになるのですが。。。
高校生時代へと進みます。